村上春樹さんの期間限定サイト「村上さんのところ」、5月13日で公開を終了してしまいました。
1月の後半からほぼ毎日覗いて、9割方は読んだと思うのですが、完読はできませんでした。残念(;_;)
私は合計4通の質問メールを送ったのですが、そのうちの1通に返事をいただきました♪ サイトに公開されるまでに1日ほどのタイムラグがあったのですが、その間はまるで私的なメールをいただいたような感じがしてとても幸せでした。。
質問の内容は恥ずかしいので明かせませんが、村上さんの経験をもとに真摯に回答いただきました。しっかり保存して家宝にしたいと思います。
追記: ・・・と思ったいたら、書籍版にも掲載していただきました(*_*)
大半はわたしのようなファンとの他愛ないやりとりでしたが、なかにはいくつも考えさせられる回答がありました。いつものごとくシンプルな言葉で、しかしながら本質をするどく。
たとえば、(以下、「村上さんのところ」から引用)
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【どうしてこのような結論に至ったか?】
初めまして。某自動車会社に勤務する45歳男です。これまでずっと村上朝日堂を閉じられた後に知って悔しい思いをしてきました。今回初めて参加出来る事にかなり興奮しております。
村上さんは『雑文集』の中で「あらゆる人間はこの生涯において何かひとつ、大事なものを探し求めているが、それを見つけることのできる人は多くない」と書かれています。どのような経緯でこのような結論に至られたのでしょうか? また、村上さん本人は見つける事が出来たのでしょうか?
私は今まさにそのことで悩んでいます。現在の(給料は悪くないが)面白くない仕事より、夢中になれる仕事を見つけたい! と言う願いは、叶えられるはずのないものなのでしょうか?
回答頂ければ幸いです。
(迷える羊、男性、45歳、会社員)
どうしてこのような結論に至ったか? だってそれがどう見ても事実だからです。みんなそのことで、多かれ少なかれ苦しんでいます。自分の人生に意味はあるのか? この仕事に意味があるのか? でも意味っていったい何ですか? 意味の意味ってなんですか? 僕にもよくわかりません。要するに、意味には実態なんてないんです。そこには関係性みたいなものがあるだけです。その関係性はあくまで相対的なものであって、あなたがちょっと立ち位置を変えるだけで変化するものです。決して絶対的なものではありません。だから「意味」についてあまり真剣に考えない方がいいと思います。むしろ関係性について考えてください。自分自身についてでもなく、客体そのものについてでもなく、自分と客体とのあいだの距離について考えるわけです。わかりにくいかもしれませんが、ちょっと考えてみてください。
村上春樹拝
(引用おわり)
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哲学的なやりとりですが、考えてしまいますよね。プリントして子供に読ませてしまいました(^^)
また、(以下、「村上さんのところ」から引用)
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【父親が嫌いです】
春樹さんこんにちは、こんばんは。
わたしはいい年をして父親が嫌いで、話もしません。
わたしにとって父親は繋がりを感じることができないただのほかの人間です。
そして父親は周囲の(あっち側の)人からは「いい人だ」と言われることが多く、わたしが責められることも少なくありません。
けれど、こっち側の私としてはやはり嫌いです。
世間では「親を大切にする」ということは当たり前のこととされていますが、親を嫌ったりできれば絶縁したいと思うことはいけないことでしょうか?
(ふわり・ふらり、男性、44歳、もうすぐ無職)
親だから好きにならなくてはならない、愛情を感じなくてはならないということはないと、僕は思いますよ。人間的にどうしても好意を感じることはできないということは、あると思います。でも父親のどのようなところが、なぜ嫌いなのかということを、少しでもはっきりさせられた方がいいと思います。それは意外にあなた自身の問題であることが多いからです。自分の中の醜い部分を、鏡像のように、肉親の中に見いだしてしまうというか。それでもどうしても嫌だったら、つきあわなければいいんです。
村上春樹拝
(引用おわり)
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わたしは父親を嫌いではないし、憎くもないのですが、40歳も過ぎると、あるときふと自分の中に「親と似ているところ」を感じます。鏡像を見つけるのです。血は争えないですよね。
だから親が嫌いだとすれば、ひょっとしてそれは自分の問題も内在しているかもしれない。 深いですよねー。
サイトの内容はまた書籍化されるとのこと。でもそれよりも次の長編を早く読みたいです。